R3.6.25更新
R7.11.21更新
第1回県下体操競技会について
埼玉県体操連盟(現・埼玉県体操協会)と麗和体操会(現・埼玉県立浦和高等学校体操部OB会)が主催した「第1回県下体操競技会」のプログラムと得点一覧表を御紹介いたします。 本大会は昭和22年11月30日(1947年)、埼玉県師範学校附属小学校(現・埼玉大学附属小学校/現在の県立浦和図書館敷地)にて開催されました。
第1回県下体操競技会(1947)
資料提供者
本資料は、2021年6月に埼玉県体操協会参与会の故・大島齋禮(おおしま よしゆき)氏より御提供いただいたものです。
大島齋禮氏 ― 日本体操界を支えた功労者
大島氏は、戦後の混乱期に体操競技の復興を牽引し、選手としても指導者としても、さらに協会運営者としても日本体操界を支え続けた稀有な存在でした。
○選手として
・埼玉県立浦和高校から早稲田大学へ進学。
・1954年、第13回世界体操競技選手権大会(ローマ)に日本代表として出場。
・団体総合で 銀メダル獲得。戦後日本体操界にとって国際舞台での復活を象徴する快挙でした。
○指導者として
・1967年、埼玉国体総監督を務め、後進の育成と競技力向上に尽力。
・NPO法人杉戸町総合型スポーツクラブすぎスポの体操指導者としても長年活動し、地域のスポーツ振興に大きく貢献。
・埼玉県体操界の発展において中心的役割を果たしました。
○日本体操協会役員として
・日本体操協会理事(1995~1998年度)、副会長(1999~2000年度)、評議員(2013~2024年度)、顧問(2001年度~)。
・1981年度には功労賞を受賞。
・長年にわたり体操界の制度整備と発展に尽力し、競技の未来を築きました。
逝去
大島齋禮氏は令和7年11月17日に御逝去されました(94歳)。 氏の功績は、埼玉県体操界のみならず、日本体操界全体の歴史に深く刻まれています。選手として世界に挑み、指導者として後進を導き、地域スポーツの振興にも尽力し、協会役員として競技の基盤を築いたその歩みは、まさに「日本体操界の礎」と呼ぶにふさわしいものです。
R7.6.17更新
「歴史と思い出」というテーマのもと、戦後の体操にまつわる貴重な記録が、麗和体操会(旧制浦和中学・浦和高校体操部OB会)のホームページにて紹介されています。
掲載されている主な記事は以下のとおりです:
・『第一回国体の想い出』 ― 中49回 柄澤 昭秀 氏
・『昭和22年 第一回埼玉県下体操競技会』
・『私の体操の原点』 ― 高2回 大島 斎礼(おおしま よしゆき)氏
・『終戦当時の浦和高校体操部の思い出』 ― 高2回 大島 斎礼(おおしま よしゆき)氏
・『敗戦の日』 ― 中49回 柄澤 昭秀 氏
・同窓会会報『麗和』(平成22年/第53号)寄稿記事 ― 高12回 中嶋 健二 氏
戦後の混乱期における体操活動や、先人たちの情熱あふれる体験が綴られています。ぜひ御一読ください。
【豆知識】埼玉県立浦和高校(旧制浦和中学・浦和高校)器械体操部:「日本で2番目に長い歴史を持つ体操クラブ、1番目は創部1902年の慶應義塾大学器械体操部(上記HPより)
